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精神障害と生産性について

🍅ここでは、パニック障害を含む精神疾患を持つ患者の「労働生産性」をめぐる研究を取り上げてみます。
🍅注意したいのは、精神疾患を持つ患者=生産性がない」と短絡的に結び付けてはならないということです。そうではなくて、精神疾患を持つ患者が病気によって本来その人が持っているパフォーマンスを発揮できないことや、精神疾患を持つ患者が安心して働ける環境が整っていないことによって本来その人が持っているパフォーマンスを発揮できないこと、さらには精神疾患(特にパニック障害)の性質からみて、適性のマッチングがうまくいけば、患者のパフォーマンスがむしろ健康な人よりも優れている可能性があることにも着目すべきでしょう。


1.健康と労働生産性に関するアプローチ



🍅精神疾患云々にかかわらず、健康や病気とその人の労働生産性との関係をめぐっては、個人企業国家という3つの立場からアプローチすることができます。
🍅個人については、病気を抱えることが就労日数や収入、就業機会にどの程度影響を及ぼすのかという研究が行われています。
🍅企業については、従業員が病気を抱えることが企業の生産量や収益にどの程度影響を及ぼすのか、あるいは、企業が健康教育や保健対策を行うことが企業の生産量や収益にどの程度影響を及ぼすのかという研究が行われています。
🍅国家については、国民が病気を抱えることが国家財政にどの程度影響を及ぼすのか、あるいは、国民が病気であるために国家が支払うコスト(社会的コストという)はどの程度なのかという研究が行われています。


2.精神疾患と患者個人の生産性



🍅たとえば、井奈波(2014)は看護師に調査を行い、バーンアウト(=燃え尽き症候群)やうつ状態にある看護師の就業時間が健康な人よりも有意に少なく、かつ、全般的な生産性も有意に低いと報告しています。この研究では、就業時間の多い少ないが個人の生産性を測る指標として活用されています。
🍅個人が健康を損なうとその人の労働生産性が下がるのは当然としても、これを正確に測定するのは案外難しいんです。なぜなら、日本の場合、労働者が健康を損なっていても無理をして出勤しようとする傾向があるからです。そこで、以下に説明する「アブセンティイズムとプレゼンティイズム」という考え方を使うことになります。


(1)アブセンティイズムとプレゼンティイズム
🍅以下、黒田・山本(2014)、山内ら(2016)、岡庭(2017)、黒田(2018)、藤沢(2020)、武藤(2020)、黒沢ら(2020)による知見を整理します。
🍅労働者の生産性を測るための指標として「アブセンティイズム」と「プレゼンティイズム」という概念があります。ちょっと難しいですが、なにとぞお付き合いください。

  ①アブセンティイズムabsenteeism
    ・労働者が病気やけがによって欠勤することです。
    ・アブセント(absent)とは「留守にする」という意味です。

  ②プレゼンティイズムpresenteeism
    ・労働者が病気やけがを持っているのに無理して出勤することです。
    ・プレゼント(present)とは「出席する」という意味です。

🍅さてさて、アブセンティイズムとプレゼンティイズム、どちらが労働者の生産性が上がるのでしょうか? アブセンティイズムとプレゼンティイズムに関しては、いろんな研究が行われています。以下、精神疾患関係の調査結果をみましょう。

①精神疾患全般に関する調査
・労働者の約11%が精神疾患を持っており、アブセンティイズムは年間平均1.07日、プレゼンティイズムは年間平均3.00日有意に増加した(Debbieら:2000)
・精神的不健康により、アブセンティイズムで週平均1時間、プレゼンティイズムで週平均4時間の労働時間の損失があった(Stewartら:2003)
・職場でアブセンティイズムやプレゼンティイズムが発生すると、その分をカバーする同僚の負担が増え、精神疾患が拡散する(Dewaら:2011)
・精神的に不健康な人の58%がプレゼンティイズムの状態で就労していた(OECD:2012)
・5つの疾病(腰痛・肩こり、精神疾患、頭痛、腹痛、不眠)のアブセンティイズムとプレゼンティイズムを比較すると、合計損失額が最も大きいのは精神疾患だった(Wadaら:2013)

②気分障害に関する調査
・気分障害患者のアブセンティイズムによる労働損失率は28.4%であり、プレゼンティイズムによる労働損失率は11.4%だった(Lernerら:2004)
・気分障害患者とアルコール依存症患者はプレゼンティイズムに有意な負の影響を及ぼし、11~12%の生産性低下が生じた(Tsuchiyaら:2012)
・プレゼンティイズムが8回以上ある労働者は、そうでない労働者よりも気分障害罹患率が約2.5倍であった(Conway:2014)
・抑うつ傾向といった軽度の症状であってもプレゼンティイズムと有意な関連がみられた(Suzuki:2015)
・気分障害からのリ・ワークプログラムが職場復帰におけるプレゼンティイズムにポジティブな効果をもたらした(山内ら:2016)
・気分障害の一人当たりの年間生産性損失は、アブセンティイズムよりもプレゼンティイズムによる損失が一貫して高かった(Evanceら:2016)
・抑うつが重度化すると認知的な症状がプレゼンティイズムを高めて生産性低下につながる、および、身体行動的な症状がアブセンティイズムを高めて欠勤を増加させる(Johnstonaら:2019)
・死別後の遺族の悲嘆反応はアブセンティイズムには有意に影響しなかったが、プレゼンティイズムには有意に影響していた(藤沢:2020)

③不安障害に関する調査
・不安障害と気分障害が重複している人は、アブセンティイズムは年間平均4.05日、プレゼンティイズムは年間平均5.51日有意に増加した(Debbieら:2000)
・プレゼンティイズムの平均コストは医療・薬剤費の約2.3倍であり、傷病別では特に気分障害と不安障害のプレゼンティイズムが大きかった(Loeppkeら:2009)

④その他の調査
・成人労働者の約1.9%がADHDを持っており、かつ、そうでない人よりも4~5%の労働生産性が低下し、さらにアブセンティイズムが年間10~12日生じた(Kesslerら:2009)


(2)精神疾患と患者の就業機会・就業意欲
🍅一方、精神疾患患者は就労機会が制限されたり、就業意欲が減退したりするという側面があり、これも生産性の低下と考えることができます。
🍅岡庭(2017)は、精神疾患の診断数が多い人ほど労働参加の機会が減少しているとする報告(Cornwellら:2009)、精神的健康であるほど就業に対して有意な正の影響があるとする報告(Chunlingら:2009)などを紹介しています。


(3)精神疾患と患者の賃金・所得
🍅賃金や所得は、もっともわかりやすい生産性の指標となります。岡庭(2017)は以下の知見を紹介しています。

・女性の不安障害患者は健康な女性よりも11.7%所得が低下したが、男性患者は有意に低下しなかった(Marcotte & Wilcox-Gok:2003)
・精神的不健康の数値が高い人ほど所得が約10%低下する(French & Zarkin:1998)
・18歳時点で精神疾患の診断を受けた人は、そうでない人よりもその後の所得が18.3~27.0%低下し、特にアルコール依存および薬物依存では25.0~35.7%低下する(Lundborg ら:2014)

🍅しかし、黒田(2018)は、全体として「健康な人ほど賃金が高い」と報告する研究が多いと述べた上で、健康と賃金との関係を問う研究には以下の4つの問題があると指摘しています。

  ①健康を測定する手段が主観的健康度であること
  ・本人の主観に頼っているので、真の健康状態との測定誤差が大きい可能性がある。

  ②健康だから賃金が高いのか、賃金が高いから健康なのかがわからない
  ・賃金が高いから自分の健康に投資することができ、健康状態が良好になる可能性がある。

  ③遺伝などの先天的要素を勘案していない
  ・もともと個体差があれば、健康と賃金との関係ではなく、遺伝と賃金との関係なのではないか。

  ④賃金データは就労している人のものである
  ・健康ではない人ほど就業率が低いということは、用いている賃金データは健康な人のものに偏っている。


3.精神疾患と企業の生産性



🍅次に、企業からみた従業員の精神疾患と生産性について検討してみましょう。


(1)企業と従業員のメンタルヘルス
🍅現在、企業は従業員のメンタルヘルスに対して大きな責任を負っているといえます。有元(2008)は、従業員がメンタルヘルスを損ねることによって企業が被る損害を以下の3点に整理しています。

  ①従業員の生産性の低下
  ・注意力・意欲の低下、ヒューマンエラーの増加、労災事故の増加、
   集団・組織活力の低下、周囲の負担増大、個人的技能の伝承の損害、
   連鎖的なメンタルヘルス不全の発生

  ②企業のコスト負担
  ・体調不良者増加による生産効率の低下、長期休職に伴う医療費や傷病手当金
   などの負担、労災補償、訴訟/賠償費用、欠員補充費用、人材育成費用など

  ③イメージダウン
  ・企業ブランドの低下、社会的なイメージダウン

🍅有元はまた、従業員が職場内で受けるストレスの強さは精神疾患だけでなく、職務満足度や離職との間にも強い相関があると述べています。少子高齢化によって労働力が明らかに不足している現代では、企業経営者は従業員の安定確保に躍起になっています。黒田・山本(2014)は、人的投資に積極的で、長期的に人材を育成していくような企業にとっては、精神的不健康を理由に従業員が退職することによる人的投資の損害は相当大きいと述べています。したがって、まともな企業である限りは、昨今の企業はメンタルヘルス対策に本腰を入れざるを得なくなっています


(2)精神疾患と企業の生産性に関する研究
🍅黒田・山本(2014)が行った調査からは、以下の結果が得られています。

・事業所の86.2%がメンタルヘルスの問題が企業パフォーマンスに負の影響があると回答した。
・精神的不調による休職者や退職者は平均して1%未満であり、この結果からは企業業績には影響しないが、休職や退職に至らない従業員もおり、それが企業業績に影響を及ぼしている可能性がある。
・精神的不調による休職者や退職者が多い企業は、労働慣行や職場管理に問題がある可能性がある
・一定期間内に精神的不調による休職者が増えた企業とそれ以外の企業を比較すると、増えた企業の売上高利益率の減少が有意に著しいこと、および、精神的不調の影響はすぐに売上高利益率には反映されず、数年後に影響する


(3)メンタルヘルス対策による企業の生産性の変化
🍅井奈波(2012)は、職場のメンタルヘルス対策の効果について、それを計画してすぐに効果が出るほど甘くはなく、経済効果を安易に追求すること自体、人間疎外の危険性をはらんでいると指摘します。その上で、井奈波(2012)と黒田(2018)は以下のような研究を紹介しています。

・企業の従業員支援プログラム(EAP)の費用を計算し、EAPの年間契約料以外に、従業員がEAPを受けるために損失した労働時間も含めた費用と、そこから得られた利益を分析すると利益が上回った(清水・永田:2005)
・精神保健活動を行った6事業場を分析し、以下の結果が得られた(田原ら:2007)
  ・利益が赤字となった事業場が4事業場にのぼり、単年度では精神保健活動にかかる費用が
   利益を上回った
  ・しかし、延べ休業日数は4事業場で減少した
・職場の精神保健活動の効果を3年間にわたって分析すると、この間に気分障害を発症した従業員は約3倍に増加したことにより、給与保証総額が約52%増加し、利益は赤字となったが休業日数は約55%減少した。なお、気分障害発症者が激増したのは調査時期が経済不況時だったからである(Kono & Hosaka:2008)
・従業員の健康増進や労働安全に関して表彰された企業とそうでない企業の平均株価を比較すると、約20年間にわたって表彰された企業の平均株価が上回っていた(Fabiusら:2013;Fabiusら:2016)
精神的不調による休職・退職者の比率が高い企業ほど利益率が低かった(Kuroda & Yamamoto:2016)


4.精神疾患と国家の社会的コスト



🍅健康と生産性との関係を国家規模で計算するのによく用いられる指標は、平均寿命国民一人当たり所得です。一般に、平均寿命と国民一人当たり所得は正の相関を見せます。しかし、平均寿命と国民の所得との関係はどちらかといえば健康ではなく国力に力点を置いたものといえるでしょう。黒田(2018)は、平均寿命は健康を測定する尺度としては疑問の余地があることや、飢餓状態ではない成熟社会で健康と生産性との関係を検討する必要性を指摘しています。
🍅一方、先進諸国では、疾患がもたらす社会的コスト(本人の自己負担以外にかかるコスト)を計算することによって国家の医療政策や医療費節減策に役立てようとするのが一般的です。
🍅精神疾患関係では、塚田ら(2005-2007)は包括的地域生活支援プログラム(ACT)参加者が医療費にもたらす経済効果を調査した結果、参加後の外来受診日数、デイケア日数、年間医療費総額は有意に減少したものの、それ以外の項目は有意に減少せず、結論として医療費を含む社会的コストは減少しなかったと報告しています。
🍅鈴木(2013)は、アルコール依存症に伴う社会的コストは約4兆円(医療費1兆円 + 労働・雇用損失3兆円)と推計されると報告しています。
🍅社会的コストの研究ではないものの、井奈波(2012)は自死予防対策が効果を発揮して自死者がゼロになるとGDP国内総生産が年間1兆995億円増えるとする研究を紹介しています。
🍅佐渡(2014)は、気分障害患者の社会的コストをくわしく分析しています。社会的コストの内訳は3つあります。
  
  ①直接費用(外来医療費、入院医療費、薬剤費)
  ②間接費用(罹病費用(アブセンティイズムとプレゼンティイズム))
  ③死亡費用(自死した場合の期待生涯賃金)

その結果、成人の気分障害の社会的コストは約2兆円(直接費用1,800億円、間接費用(罹病費用9,200億円)、死亡費用8,800億円)であると報告しています。
🍅なお、佐渡は気分障害がもたらす社会的コストは過小評価されやすいと指摘しています。すなわち、気分障害患者で医療機関を受診している人は半数以下であること、気分障害はがんや脳血管疾患のような死亡率の高い病気ではないので死亡者数や死亡率というインパクトのある指標で評価できないこと、高額な医療費がかからず一人当たりの医療費が少ないこと、などから気分障害は死亡率や医療費だけで評価すべきでない「隠された費用」の多い疾患であると述べています。
🍅学校法人慶應義塾(2011)は、不安障害の社会的コストを、以下の3つの社会的コストから計算しています。

  ①直接費用(医療費)
  ②社会サービス費用(障害者自立支援法(当時)のサービス費用)
  ③間接費用(罹病費用(アブセンティイズムとプレゼンティイズム、非就業費用)、
        死亡費用(自死した場合の期待生涯賃金))

その結果、不安障害の社会的コストは2兆3,931億7,000万円(直接費用496億8,600万円 + 罹病費用2兆990億8,900万円 + 死亡費用2,443億9,500万円)であったと報告しています。
これらの結果から、不安障害はアブセンティイズムとプレゼンティイズムが最も大きな間接費用となっており、患者の受療率を高めること(不安障害患者は受療率が低い)によってある程度の間接費用を減らすことは可能と結論づけています。


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🍅以上、専門用語が多くてちょっと難しかったでしょうか(わかりやすく説明できなかったかも知れません、すみません)。しかしながら、冒頭で述べたように精神疾患患者=生産性がないとは決して解釈しないで頂きたいと思います。これは気休めでもなんでもなく、管理人が出会ってきたパニック障害患者や気分障害患者の仲間はみんな精密な作業能力を持っています。今回は取り上げませんでしたが、「合理的配慮」など、一定の条件さえ整えば積極的な社会参加、就労参加が期待できると管理人は考えています。


文献

学校法人慶應義塾(2011)「『精神疾患の社会的コストの推計』事業実績報告書」平成 22 年度厚生労働省障害者福祉総合推進事業補助金.
有元裕美子(2008)「経営リスクとしてのメンタルヘルス~個人の健康課題から企業の経営課題へ~」『季刊政策・経営研究』2008年第2号、pp87-108.
藤澤大介(2020)「死別後悲嘆・複雑性悲嘆に伴う生産性低下(労働損益)」(公財)日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団「遺族によるホスピス・緩和ケアの質の評価に検する研究」運営委員会編『遺族によるホスピス・緩和ケアの質の評価に関する研究4 (J-HOPE4)』(公財)日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団、pp180-183.
井奈波良一(2012)「わが国の職場のメンタルヘルス対策の経済評価に関する文献研究」『日本職業・災害医学会会誌』第60巻第5号、pp278-281.
井奈波良一(2014)「女性看護師のバーンアウトの仕事の生産性への影響」『日本職業・災害医学会会誌』第62巻第3号、pp173-178.
黒田祥子(2018)「健康資本投資と生産性」『日本労働研究雑誌』第695号、pp30-48.
黒田祥子・山本勲(2014)「企業における従業員のメンタルヘルスの状況と企業業績―企業パネルデータを用いた検証―」『独立行政法人経済産業研究所ディスカッション・ペーパー』14-J-021、pp1-23.
黒沢拓夢・井原祐子・滝沢龍(2020)「労働者のメンタルヘルスと生産性―presenteeism研究の概観―」『東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース紀要』第43号、pp78-84.
武藤孝司(2020)「プレゼンティーイズム―これまでの研究と今後の課題―」『産業医学レビュー』第33巻第1号、pp25-57.
岡庭英重(2017)「メンタルヘルス不全が労働市場に及ぼす影響に関する実証研究レビュー」『研究年報経済学』(東北大学経済学会)第75巻第3・4号、pp319-332.
佐渡充洋(2014)「うつ病による社会的損失はどの程度になるのか?―うつ病の疾病費用研究―」『精神神経学雑誌』第116巻第2号、pp107-115.
鈴木良介(2013)「依存症80万人・経済損失4兆円に達する『アルコールの有害使用』」『NEW MEDIA』2013年7月号、pp80-81.
塚田和美・伊藤順一郎・深谷裕(2005-2007)「医療経済学的研究:包括型地域生活支援プログラム(ACT-J)の費用対効果分析」『厚生労働科学研究費補助金(こころの健康科学研究事業):重度精神障害者に対する包括型地域生活支援プログラムの開発に関する研究・分担研究報告書』.
山内慶太ら(2016)「リワークプログラムの費用と効果に関する医療経済学的研究~気分障害による長期休職者の復職後の労働生産性に関する調査~」『厚生労働科学研究費補助金・障害者対策総合研究事業(障害者政策総合研究事業(精神障害分野):精神障害者の就労移行を促進するための研究:分担研究報告書』.

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