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パニック障害の精神分析療法

🍅ここでは精神分析療法を取り上げます。精神分析療法は、そのはじまりから現在に至るまで修正、改善が加えられてさまざまな流派がありますが、ここでは原始的な精神分析療法の考え方に絞り込んで整理してみようと思います。

  👀なお、精神分析療法については以下のページでも取り上げています。


1.精神分析療法(psychoanalysis)とは



🍅以下、岩切(1989)、池田(2005)、中野(2014)、長谷川(2015)、岩崎(2017)による知見を整理します。


(1)精神分析療法とは
🍅精神分析療法とは、患者の心の働きに「無意識」という力が強く影響していると考える精神分析学をもとにして、治療家―患者間の治療関係を通して患者の心の理解を図ろうとする心理療法の一流派のことをいいます。
🍅この「無意識」を「力」と考えることから、精神分析のことを「力動論」「精神力動論」などと呼ぶことがあります。また、精神分析を軸にした精神医学のことを「力動的精神医学」と呼ぶことがあります。
🍅精神分析では、患者のパーソナリティを知るために、過去から現在に至る生育歴や生活歴、親子関係を非常に重視します。すなわち、患者が現在苦しんでいる症状には、患者が過去に体験した出来事が強く関係していると考えます。そして、患者が過去に体験した出来事に対して何らかの心的葛藤を抱えていることが症状にあらわれると考えます。
🍅精神分析療法は、もともとは不安障害(当時は神経症)の患者を対象としたものです。その後、技法が修正されるなどして、(効果のほどはともあれ)気分障害や統合失調症、パーソナリティ障害などにも適用の幅が広げられています。


(2)フロイトの学生時代
🍅S.フロイト(1856-1939)は「精神分析の祖」と呼ばれています。精神分析学を理解するいちばんの近道は、フロイトの人生を知ることです。

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出所)久保良英(1917)『近世心理学文庫第3巻:精神分析法』心理学研究会出版部、巻頭。

🍅フロイトは幼少期をオーストリアで過ごし、ウィーン大学医学部に入学後は解剖学者を夢見ていたものの学費が続かず、仕方なしに精神科の開業医を目指すことになります。
🍅彼は研修医期間を終えるとウィーン大学の神経病理学の講師となり、神経病理学を極めようとパリに留学し、そこで神経科医シャルコーJ.M.Charcot)と出会います。これが精神分析への道の始まりです。シャルコーは、神経症の原因は心因性、特に性的なものが関与しているとつねづね話していたそうです。フロイトはシャルコーの見解に影響を受けつつウィーンに戻って開業医となり、神経症患者の治療に没頭します。


(3)催眠療法の採用および催眠療法との訣別
🍅開業医となったフロイトは、既にシャルコーから学んでいた催眠暗示法を試しました。これは現代風に言えば、予期不安に苦しむパニック障害患者に対して「予期不安は生じない」と暗示をかけるものです。催眠暗示法では、一時的には症状は収まりますがいずれ再発します。この段階でフロイトは、神経症の原因や発症メカニズムを解明する必要があると考えました。
🍅そこで彼は、患者の過去の記憶をたどることが重要であると考え、患者を催眠にかけて、その記憶を自由に話させることに成功しました。ただし、催眠にかかりにくい患者もいるため、前額法(治療家が患者の額に手を当てて、患者が心に思い浮かぶことを話させる)を経て自由連想法(患者が横になって心に思い浮かぶことを自由に話す)を開発しました。
🍅また、フロイトはウィーンの開業医ブロイアーJ.Breuer)とともにヒステリーの研究を行い、神経症の原因は過去に強い心的外傷体験を受けたことによるものと考え、それを再体験し、言葉で吐き出してしまえば治るという「カタルシス療法」を開発しました。カタルシスとは、もともとは演劇用語です。私たちがふつうの映画やドラマを観ていると、台本には決まりきったストーリーがあることに気づかされます。つまり、主人公が事件に巻き込まれるなどして、すったもんだを経て終盤に大きな危機や山場があり、それを乗り越えたところで感動的なエンディングが待っていて、私たちはついつい泣いてしまう、というものです。カタルシス療法はそれと同じです。感動的な映画を観た後に心がすっきりする(カタルシス効果という)、あの爽快な気持ちに至ることです。
🍅しかし、カタルシス療法も催眠暗示法と同じで、その効果がなくなれば症状が再発することが分かり、フロイトは催眠の世界を捨て、自由連想法を中心とした精神分析に深くのめり込むようになります。


2.精神分析を通して形成されたフロイトの理論



🍅フロイトは、患者に対する精神分析と彼自身の自己分析から、神経症をめぐってさまざまな仮説を発表しています。
🍅以下、岩切(1989)、川谷(2012)、中野(2014)、岩崎(2017)による知見を整理します。


(1)無意識・意識・抑圧・葛藤
🍅フロイトは、患者が自分にとって不快な事実を「抑圧repression)」していることが神経症を引き起こすと考えました。すなわち、患者が過去に強烈な心的外傷を体験しているとすると、その事実は(事実なのだから)取り消すことはできません。患者はその心的外傷体験に直面すると苦しいので、心の奥底(≒無意識)に押し込め、表面(≒意識)にのぼってこないようにします。無意識に押し込められた事実はときどき意識に現れることがあり、患者はさらにそれを無意識に押し込めようと苦しみ、無意識と意識との間で葛藤conflict)が生じてしんどい思いをします。この葛藤が不安になったり、身体症状として現れるのが神経症であるとフロイトは考えました。
🍅フロイトは、この無意識に押し込められている内容を意識に表面化させると症状が消えると考え、その方法が自由連想法であると位置づけました。ただし、神経症の原因が患者の過去の心的外傷体験にあるという仮説は、フロイトよりも前にフランスの催眠学者ジャネP.Janet)が唱えており、フロイトはジャネに影響されたといわれています。


(2)自我・超自我・エス
🍅フロイトは、人の心には3つの成分があると考えました。すなわち、自我、超自我、エスの3つです。

  ①自我(ego)
    ・「私」のこと。先に述べた「意識」にある私、すなわち本来の私を意味する。
  ②超自我(super-ego)
    ・自我の行いを道徳的、倫理的に監視・規制する、いわば親による禁止を意味する。
  ③エス(es)
    ・人間が本来持っている各種の欲望のこと。
    ・人間が本能のままに動きたがるという子どもっぽい部分を意味する。

🍅人間の自我は、自由に動きたがる子どもっぽいエスと、それを厳しく禁止しようとする親としての超自我の両方から引っ張られる位置にあって、自我が超自我とエスからの圧迫を処理できなくなって疲れたときに神経症を発症するとフロイトは考えました。


(3)夢の分析
🍅元来、フロイトは夢に興味を持っていて、自由連想法による精神分析を行うようになって以降、患者が自分の夢を話すことが多かったので、夢に意味があると考えるようになりました。フロイトが自由連想法を始めたのは1890年代前半ですが、その時代には夢が睡眠時の生理現象であることは既に科学的に突き止められていました。しかしフロイトは、夢は人間の無意識の部分を表現していると考え、精神分析に積極的に活用するようになります。


(4)性愛論
🍅性愛論は、フロイトが発表したさまざまな仮説のうち、最も批判が多かったものです。
🍅フロイトは、神経症の原因が患者の過去の心的外傷体験にあると考え、患者の生育歴を重視しましたが、その心的外傷体験の中身は、単なる恐怖や苦痛ではなく、幼少期の性的な体験であるらしいと考えるようになりました。この幼少期の性的な体験とは、具体的には、患者の周りにいた大人(親、家事使用人、家庭教師など)から受けた(現代風に言えば)性的虐待のことです。フロイトがどうしてこんな奇抜な仮説を思いついたかというと、自由連想法を行う中で男女を問わず、患者が語る内容にそのようなものが多かったからです。
🍅フロイトはのちに、性的虐待のことを話す患者は性的虐待の話題を通して父親や母親への願望を語っているのではないかと考えるようになりました。また、フロイト自身が自己分析(※彼自身も神経症患者だった)をして幼少期の記憶をたどってみると、自分が「母親を愛し、父親を憎んでいた」ことに気づきました。さらに、ある男性患者が「父の死後に母親と寝た」と語ったことから、フロイトはこうした幼少期の性的体験にまつわる感情をエディプス・コンプレックスと名付けました。「エディプス」とはギリシャ悲劇の戯曲『エディプス王』から取ったものです。そしてフロイトは、人が持っている性的な欲望の原動力をリビドーlibido)と名付け、神経症患者は父親の権威に常に抑えつけられていてリビドーを発散できていないと考えました。
🍅注意したいのは、フロイトの性愛論は単なるセックスやそれによる快感、絶頂への欲求などの狭いものではなく、情緒性や抽象的なものも含む、もっと広範囲に及ぶということです。フロイトは合理主義的な科学観を持っていましたが、この性愛論については客観性があると確信しており、後年批判されたときも「神経症の原因は性的なものである」と譲らなかったそうです。

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出所)フロイト,S.,安田徳太郎訳(1930)『フロイド精神分析大系1:ヒステリー』アルス、表紙。


3.自由連想法とその要点



🍅以下、堀(1961)、岩切(1989)、池埜(2000)、安蘓ら(2002)、石谷(2010)、池田(2011)、川谷(2012)、中野(2014)、原田・川嵜(2017)、岩崎(2017)、岡村(2019)による知見を整理します。
🍅ここでは、自由連想法の展開について整理してみます。


(1)治療契約
🍅これは精神分析療法に限らず、すべての心理療法で行われなければならない手続きです。週に何回行うのか、1回につき何十分行うのか、1回あたりの料金はいくらか、そして、どのような目的をもって、どのような方法を用いて行うのかについて、治療家と患者との間で契約を結ばなければなりません。いわゆる説明と同意informed-consent)です。
🍅また、治療家と患者との間には、時間を厳守することや、遅刻しても延長しないこと、面接室の外では互いに一切会話しないこと、必ずしも治るとは限らないこと、などの契約が交わされることが多いです。
🍅精神分析の場合、その頻度は週3~4回、1回につき45~50分が原則とされていますが、週3~4回という頻度は現代的事情にはそぐわないことから、週1回の頻度で行われることもあります。


(2)自由連想法の環境設定
🍅自由連想法は、ことさら特殊な方法を用いるわけではありません。面接室にカウチ(寝椅子)があり、患者はカウチに横になります。治療家は、古典的な精神分析療法では患者の背後に位置取りをします。これは催眠療法の名残といわれています。現代の精神分析療法ではカウチを用いず、治療家と患者が向かい合う対面法が用いられているようです。
🍅治療家は、患者に対して「深く考えることなく、落ち着いて、自分の頭の中に思い浮かんだことを全て話して下さい」と促します。


(3)転移
🍅自由連想法を用いて患者が過去の体験を自由に話すとき、患者は過去の対人関係、特に患者にとって重要な人に対して取ってきた関係パターンを治療家に向けるようになります。これを転移transference)といいます。
🍅転移のうち、患者の感情が治療家に向けられることを感情転移といい、陽性positiveの感情転移(治療家に対する友好的、肯定的な性愛的な感情)と陰性negativeの感情転移(治療家に対する敵対的な感情)があります。この、陽性と陰性の両方の感情が存在することをアンビバレンスambivalence)といいます。患者の感情転移が陽性であれば治療家の言うことを信頼し、陰性であれば抵抗するもののやがて信頼へと発展するといわれています。
🍅転移のうち、恋愛転移erotic transference)と呼ばれるものがあります。これは、患者が過去に経験したつらい出来事を思い出したり、告白するときに治療家に向けられる恋愛感情のことです。治療家は道徳的、倫理的観点からこれを拒む必要がありますが、一方で恋愛転移は治療家が患者の抑圧されたものを呼び覚ました結果ともいえます。なので、患者に対して恋愛感情を抑圧せよと迫ると矛盾することになり、そのあり方については現在もなお議論がなされています。
🍅逆に、治療家が自身の考えや感情、同情心などを患者に転移してしまうことを逆転移counter transference)といいます。よく生じる逆転移の例は、患者の体験と似たような体験を治療家も同じように経験しているパターンです。この場合、治療家―患者の距離が近くなりすぎて、患者に対して過度に感情移入したり、恋愛感情を持ったり、その行動に及んだりする危険性が極めて高くなります。逆転移は、人間としては自然なことであって問題はないように思えますが、治療家が専門家の仮面をかぶって患者の感情に私的に働きかけることは専門職倫理としてはNGですし、逆転移の誘惑に負けることは治療家としての技量が未熟であるとみなされます。


(4)抵抗(治療抵抗)
🍅患者が自由連想によって無意識の部分を自由に話していくプロセスの中で、そのプロセスの進行が妨げられたり、逆戻りしたりすることを抵抗resistance)といいます。具体的には、話題のぼやかし、沈黙、辻褄が合わない、などです。また、治療の継続を阻止するあらゆるものは全て抵抗とみなされます。たとえば、患者がこのページに書いてある精神分析の内容を治療家に話すとします。すると治療家は「患者に抵抗が発生している」と解釈すると思います。
🍅抵抗は、患者自身が無意識にあるものを表面化することを嫌がって防衛している状態と解釈されます。患者が過去の嫌な体験を思い出して話すのはとてもしんどいですし、できることなら思い出したくないものです(転移抵抗という)。そのため、抵抗はごく当たり前に生じることなので、治療家は転移とともに抵抗の内容を丁寧に受容し、分析しなければなりません。
🍅フロイトは、この抵抗をできるだけ和らげるための手段の一つとして、カウチに寝てリラックスしてもらうという自由連想法を用いたというわけです。一方、治療家は転移と抵抗の内容を適切に解釈して患者に跳ね返す、この段階こそが精神分析療法のキモとなります。
🍅抵抗は、面接上に現れる言語や態度だけでなく、治療家に殴りかかったり、暴れたりすることもあります(行動化という)。患者が自分の無意識に直面することができ、かつ、治療家に対して陽性の転移の態度を持つことができる状態になったときが、抵抗を乗り越える準備が整ったということになります。


(5)解釈と洞察
🍅患者から治療家に対して転移が行われ、抵抗を乗り越えると、治療家はそれらの内容を受け止めて噛み砕き、解釈します。この解釈には、治療家が理解したことを患者に対して言語として伝えることも含まれます。
🍅そして患者は、治療家からの解釈によって自分一人では気づかなかった側面や、思っていたけれど避けていた側面などの理解を深めます。これを洞察insight)といいます。患者は、洞察を得たことによって自分自身を変化することができますし、また新しい自分の人生を歩むことができるようになります。


🍅以上、ここまでが自由連想法を用いた(古典的な)精神分析療法の概要になります。ちなみに、これらの手続きを知ったからといって、誰かを相手に精神分析を行うことは絶対にムリです。精神分析系の技法は有能なスーパーバイザーの支援の下で訓練を積み重ねることが必要です。


4.精神分析療法の意義と問題点



🍅精神分析療法は、その評価(効果測定)が難しいことや、性愛論などを適用していることから非科学的であるとして批判され、現在では心理療法の中で少数派となりつつあります。ただし、管理人の私的な意見としては全否定はできないと考えます。
🍅以下、中田ら(2001)、丹野(2001)、齊藤(2008)、川谷(2012)、小林(2013)、中野(2014)、岩崎(2017)、岡村(2019)による知見を整理します。


(1)精神分析療法の意義
🍅精神分析療法には、いくつかの意義があります。以下、列挙します。

  ①催眠療法を除けば、心理療法の基礎を築いたこと。
    →現在の各種心理療法の開発のもととなった。
  ②各種心理療法で使用される専門用語をはじめて作ったこと。
  ③幼少期の親子関係や心的外傷体験が神経症発症に関わっていることを早くも指摘したこと。
    →1890年代の段階で既に指摘していた。
  ④心理療法における治療家―患者の治療関係の重要性をはじめて取り上げたこと。
  ⑤効果のほどはともかく、従来対処療法しかなかった神経症治療に対して、その根治を試みたこと。
  ⑥精神科臨床だけでなく、思想や文学、芸術にも影響を与えたこと。


(2)精神分析療法の限界
🍅一方、精神分析療法には限界も多く、現在では批判にさらされることのほうが多いです。以下のような限界が指摘されています。

  ①科学的な根拠に欠ける理論が多いこと。
    →エビデンス・ベースド・プラクティス/メディシEBP/EBM)の潮流に乗り遅れている。
  ②治療に時間がかかること。
    →現代では何年もかけて心理療法を受ける患者が少なくなった。
  ③治療家を大量に養成することができないこと。
  ④治療家の技量の差が出やすいこと。
  ⑤汎用性に欠けること。
    →適用できない患者がたくさんいる。
  ⑥多職種連携が難しいこと。
    →看護や福祉の専門職と歩調を合わせるのが難しい。

🍅以下、管理人個人の見解です。
🍅まず、①についてはエビデンスよりアカウンタビリティ説明責任)のほうが大事であると考えます。説明責任とは、不祥事を起こした著名人が公衆の面前で釈明することではありません。患者から治療費を取っていて、なおかつ、有資格専門職である以上、精神分析療法に携わる治療家は、自分たちがどのような手段を用いていて治療しているのかを患者や国民に分かりやすく説明する責任があります。現状、これが十分に行われていないため、精神分析療法がブラックボックスだの、科学よりもアートに偏っているだの、スピリチュアルだの、不誠実であるだの言われ続けるのです。
🍅次に、同じく①について、その気になれば質的、量的の双方から評価研究を行うことができますし、日本国内では少ないながらも評価を試みた論文が存在します。要は評価をしていないか、拒んでいるだけの話です。
🍅次に、③と④については難しいところです。専門職を大量に促成栽培する教育システムを作ると、いわゆる金太郎飴状態になり、専門職の数は増えても皆が同じようなレベルになります。一方、(現状のように)徒弟制度のような形を取ると、有能な専門職を養成することはできますが、専門職の数は増えません。管理人にはどちらがよいのかは分かりません。
🍅精神分析療法には優れた部分がいくつもあると思いますので、患者が活用できる治療的な選択肢の一つとして、技法や効果の改善、発展を期待したいところです。


5.管理人は精神分析療法を受けたことがある


🍅管理人は18歳の時に精神分析療法を受けたことがあります。もう30年以上前のことなのでディテールを覚えていません。それくらい印象に残らなかったということです。なお、無理矢理「受けさせられた」のではなく、主治医のすすめによって管理人が自己決定して受けました。
🍅頻度は週1回×3か月間=12回だったと思います。料金は1回980円(自己負担)でした。医療保険がきいて980円だったのか、10割負担で980円だったのかは覚えていません。
🍅管理人が通院していた総合病院には開放/閉鎖入院病棟があり、面接室はそれらの病棟と外来建物の間に位置していました。面接室の構造は6畳程度で、カウチのような特別な椅子ではなく、普通の事務用椅子でした。管理人の正面には事務机があり、管理人から向かって左側に治療家(女性)が座りました。箱庭療法に使うための、小さな食玩がたくさん入った箱庭が置いてあったことを覚えています。
🍅方法は自由連想法ではなく、就寝中に見た夢を毎朝書き留め、それを治療家に話すというものでした。一度だけ、夢で何かの木を見たと言ったところ「その絵を描いてみて下さい」と指示されて木の絵を描いたことを覚えています。いわゆる「治療」に関して、覚えているのはこれだけです。
🍅3か月経ってから、今後も続けるかどうかを尋ねられ、「大学受験もあるので」などと言って継続をお断りしました。管理人の心身には何の変化もなく、パニック発作と嘔吐恐怖はその後現在に至るまで続いています。結果としては、効果がなかったということになります。
🍅当時は何のために夢を書き続けるのかが全く分からず、管理人の心理療法に対する予備知識と理解があまりにもなさすぎました。また、治療家との間で揉めたりしたこともなく、正直にいろいろ話したつもりですが、何かが良くなかったのでしょう。なぜ効果がなかったのかは今も分かりません。おそらく、この辺の曖昧さが他の心理療法信奉者から叩かれるのだと思います。
🍅そのときの治療家はのちのち、スーパーバイザーとともに症例検討会を行うなどして、なぜ効果がなかったのかを突き止めているはずです。今となっては、(決して嫌味ではなく、素直に)その所見を聞いてみたいものです。管理人の治療体験は、将来をまともに考えていない浪人時代の、たかだか3か月程度の体験でした。したがってダメージを受けずに済んだことから、精神分析療法に対してはなんの恨みもありません。

心理療法室はこんな感じだった


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🍅(2021/8/4)フロイトやその師匠シャルコーが患者の奥底に「性的なもの」の存在を想定したという点について、管理人自身は次のように考えています。すなわち、催眠やら自由連想法やらを使って患者がリラックスし、かつ患者とセラピストとの間に強固な信頼関係が形成された上でセラピストが「あなたの頭の中に思い浮かんだことを自由に話して下さい」とか「心に引っ掛かっていることを自由に話して下さい」などと促すと、患者は性的なことがらを話しやすいということです。セックスや自分の性器、性的虐待などに関することがらは洋の東西を問わず大っぴらに話すことはタブーですし、人は多かれ少なかれ性的なことがらに関して劣等感を持っているものです(それに関して優越感を持っている人のほうが少ない)。ましてや、思春期の人であればなおさらです。つまり、セラピストが「思い浮かんだことを自由に話して下さい」と促すと、患者は「秘密」を話さなければならないのだと受け止め、タブーである性的なことがらを打ち明ける傾向にあって、シャルコーやフロイトはそれを神経症と関連づけたのではないか、というのが管理人の個人的な見解です。
🍅(2021/8/4)さきに、こうした精神分析(学)の意義の一つとして「思想や文学、芸術にも影響を与えた」ことをあげましたが、それは裏を返せば精神分析(学)なるものに対して思想的、文学的な解釈を許すようなスキがあるということであり、ツッコミどころがあるということです。管理人は精神分析(学)を全否定しませんが、科学としては未成熟であると言わざるを得ません。


文献

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原田康平・川嵜弘詔(2017)「精神療法のトレーニングについて―精神分析的な立場から―」『九州神経精神医学』第63巻第3・4号、pp153-159.
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岡村裕美子(2019)「精神分析における治療関係のあり方を概観する」『京都大学大学院教育学研究科附属臨床教育実践研究センター紀要』第22号、pp55-65.
大森智恵(2019)「精神分析的心理療法における『心的変化』―『心的空間』の視点から―」『京都大学大学院教育学研究科紀要』第65号、pp53-65.
齊藤万比古(2008)「エビデンスに基づく子どもの精神療法」『精神神経学雑誌』第110巻第10号、pp955-961.
丹野義彦(2001)「展望:実証にもとづく臨床心理学に向けて」『教育心理学年報』第40集、pp157-168.

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