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精神医学とパニック障害の歴史(古代~近代)

(2021/9/17)より分かりやすくするとともに文字数を減らしました。


🍅ここでは、精神医学やパニック障害をめぐる歴史をまとめます。なお、ここでは現在は差別用語とみなされる名称が現れます。あくまで歴史を振り返るためのもので、客観的立場から記載するにすぎないという点をご理解下さい


1.古代



(1)ヒポクラテスの時代と心身二元論
🍅西洋医学の発祥は、紀元前のギリシャの医師ヒポクラテスHippocrates)にまでさかのぼることができます。西松・斉藤(2004)によると、この時代にヒポクラテスは既に心の動きが脳によるものであることを認識していたようです。ヒポクラテスの時代には、人間には4つの体液が流れているという四体液説(血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁)の考え方があり、これらのうち黒胆汁が過剰になるとうつ病(メランコリー)が生じると書かれていることから、古代に「うつ病」という概念が既にあったことが知られています。
🍅一方、心と脳を別物と考える傾向のことを心身二元論といいます。西洋の宗教的な価値観も影響していたのでしょうが、人の心は超越した存在で、科学的には解明できないという考え方は近代まで精神医学の主流であり続けました。多くの学者は、心と脳を切り離したことが精神医学の発展を遅らせたと指摘しています。


(2)古代中国の精神疾患
🍅東洋に目を向けると、漢の時代(紀元前202年~西暦220年)の中国医学書には「癲疾」、「狂病」、「狐惑病」などの疾病名がみられるほか、今日のパニック障害に当たるものとして「奔豚病ほんとんびょう)」という疾病名があることが知られています。その後、隋の時代(581~617年)には「風癲」、「風狂病」、「風邪」など、精神疾患を「」という文字を使って表していたほか、「鬼邪」のように「」という文字も象徴的に使われていたようです。


(3)古代日本の精神疾患
🍅日本では、西暦400~500年頃に新羅や百済から医師が日本に入国していたほか、推古天皇の時代(593~628年)には中国医学が輸入され、その後は明治時代までもっぱら中国医学の影響下に入りました。
🍅大宝律令(701年)という奈良時代の法律には、今日の障害者に対する税の減免に関する記述があり、その中に「癲狂てんきょう)」の名称がみられます。「癲狂」は精神疾患全般を指す用語として用いられたようです。また、奈良時代の大歴史本である『古事記』には「狂るたぶれる)」という文言があり、今日の精神疾患患者を示したものと考えられます。
🍅平安時代(794~1192)には、日本最古の医学書である『医心方いしんほう)』が出版されています。その中で、精神疾患は「中風ちゅうふうちゅうぶ)」に含まれていたようです。中風とは今日の脳血管障害とその後遺症のことをいい、精神疾患は「中風狂病」「中風癲病」という名称で現れます。
🍅古代日本における精神疾患の治療法については、水行(滝に打たれる)と、霊験のある社寺(たとえば京都市の紫雲山大雲寺、愛知県の光明山順因寺など)への参拝が主として行われていたようです。
🍅また、日本ではこの時期「もの憑き」という言葉があり、精神疾患は日常や自然を超えた何かが患者に入り込む(憑く)と考えられていたようです。全体として、古代日本の精神疾患とその社会的な位置づけについては、中国医学の影響を受けて比較的早くから病気として取り扱われていたと同時に、患者は西欧のように「悪」とみなされたのではなく、むしろ「神」に近づいた存在としてコミュニティからは崇められていたと考えられます。


2.中世・近世



(1)精神疾患患者と魔女狩り
🍅古代ギリシャでは、精神病は脳が原因だと考えられていました。しかしその後、精神疾患は中世(1500~1600年代)頃までは「悪魔がとり憑いたもの」とみなされるようになります。この考え方は、西洋のキリスト教的宗教観が大きく影響していると思われます。悪魔としての精神疾患患者の多くは「魔女狩り」の対象となり、火あぶりの犠牲になったようです。なお、西欧の精神医学史をみる限り、現在のパニック障害に当たる症状や疾病に関する記述は、まだこの時代には確認することができません。


(2)精神疾患に対する科学的アプローチのはじまり
🍅1700年代頃から、イギリスやフランスで現在の精神科病院のような収容施設が設けられました。当時のヨーロッパで行われていた精神科治療の内容は、瀉血療法(血液を抜き取る)、吐剤下剤の使用、鎖などによる身体拘束などでした。
🍅その入院処遇が劣悪であったために、内科医ピネルP.Pinel)らによる患者開放運動をはじめとして(但し、中井・山口(2001)によると、ピネルによる運動は伝説的要素が大きい)、その後イギリスやアメリカでも同様の人権運動が展開されるようになります。この時期のヨーロッパでは、迷信や神秘主義を信じるのではなく、人間が持っている理性によって物事を科学的に捉えようという啓蒙思想が大流行し、さらにイギリスでは産業革命の一歩手前のところまで社会が変化していました。このような動きの中で魔女狩りはナンセンスとされ、精神疾患に対する科学的な治療の動きが出始めます。ただし、イギリスにはじまる産業革命は工業化と大量生産をもたらしたので、精神疾患患者は非生産的、非効率的な存在であるとして社会から疎外されるようになり、この傾向は現代に至るまで続いています。
🍅(2021/5/13)神経症圏に話を絞ると、現代でいうPTSD心的外傷後ストレス障害)の起源は産業革命後であるとする学説が優勢です。私たちが生活を営んでいく上で心的外傷をもたらすような出来事にはさまざまなものがありますが、その多くは産業革命によって生じた工場の機械や鉄道をはじめとする交通機関、炭鉱、武器などです。これらのテクノロジーを使い誤った結果、人体が挫滅したり轢死体になったりすることは古代、中世にはなかったことです。


(3)中世・近世日本の精神疾患
🍅中世の日本では、室町時代(1336~1573)に明(みん)の医学の影響を受け、精神疾患は「」(気がふれる)、「」(感情の起伏が激しい)、「」(狂う)の3つに分けられていたようです。
🍅その後、江戸時代の日本の医学は漢方医学を基盤としながらも、徐々にオランダ医学も取り込むようになります。漢方医学の立場からは、土田献癲癇狂経験編』(1819)という日本初の精神医学書が発行されています。書名に「癲」「癇」「狂」という3分類が使われていることは興味深いところです。一方、オランダ医学では宇田川玄随西洋内科撰要』(1793)の中に「メランコリア(うつ病)」や「ヒポコンデル(心気症)」などの記述がみられます。
🍅江戸時代の精神疾患に対する社会の見方については、「殿、ご乱心を」の「乱心」、今日では日常場面で決して使ってはならない「気違い」、「狐憑き」(狐は霊と直接アクセスできる動物とされていた)などの名称がさまざまな書物や芸能の台本でみられるようになり、精神疾患がかつてのような神に近い呪術的な存在から世俗化・現世化に向かう時期だったと考えられています。
🍅(2021/5/13)神経症圏の疾患としては、高橋(1990)は今泉玄祐『療治夜話』(1850)という心理療法本を紹介しています。高橋は、農家の23歳の主婦が出産後に急激な恐怖感を体験して手が震え、この状態をたびたび繰り返して28歳になり、今泉が「心気病」と診断したこと、この患者が不安発作を恐れて寝たきりになってしまったが今泉の「説得療法」によって回復したことなどを紹介しています。これらのことから、江戸期に現在でいうパニック障害が病気として認識されていたことが伺えます。


3.神経症の登場



(1)二大精神病
🍅1800年代は、ヨーロッパ諸国で精神医学が学問として成立した時期です。すなわち、「狂気」が精神疾患とされ、精神疾患を科学的に取り扱い、その疾患の分類を試みるという動きが1800年代(特に後半)に活発になります。精神医学史に残る有名な医学者としてはドイツのクレペリンE.Kraepelin)があげられます。彼は、精神疾患を早発性痴呆(現在の統合失調症)と躁うつ病(現在の双極性障害)に分けました。これら2つは当時「二大精神病」と呼ばれていました。


(2)「神経症」の登場
🍅さて、パニック障害が不安障害というジャンルに属していることはICDやDSMで確認しましたが、この不安障害はほんの20~30年前までは「神経症neurosis)」と呼ばれていました。この神経症という言葉を最初に用いたのはイギリスのカレンW.Cullen)で、1777年のことです。
🍅その後、1800年代にはアメリカでは「ダ・コスタ症候群」(現在のパニック障害に近いもの。「ダ・コスタ」は発見した医師の名前)や「神経衰弱」、イギリスでは「神経性の動悸」や「心因性の交感神経系の動悸」、ドイツでは「空間恐怖」などと呼ばれていました。


(3)明治日本の精神疾患:癲狂院と私宅監置
🍅日本は明治時代に入り、国策として西洋医学が導入され、各大学で精神医学の講義が始められました。また、今日でいうところの精神科病院である「癲狂院てんきょういん)」も開設されました。しかし、癲狂院の数は少なく、入院できない者は私宅監置したくかんち)、すなわち自宅の座敷牢などに閉じ込めておくという手法が採られていました。なお、明治時代から第二次世界大戦後までの長い間、精神疾患患者は警察の管轄下に置かれていました。
🍅日本でも明治時代以降は社会全体が労働生産性を追求するようになり、精神疾患患者が社会から疎外される傾向が強くなっていきます。


4.フロイトの精神分析の時代



(1)シャルコーの業績
🍅1800年代後期に、フランスの神経科医シャルコーJ.M.Charcot)は神経症の研究をしており、彼はその治療として催眠療法が効果的であることを発見します。続いて、シャルコーにはジャネP.Janet)という弟子がおり、ジャネは心理学者として催眠療法を研究する中で「心的外傷trauma)」という概念を提唱するようになります。そして、有名なフロイトS.Freud)もまたシャルコーの弟子として催眠療法を学んでいました。なお、ジャネはうつ病を患っており、フロイトもまた神経症を患っていました。


(2)フロイトによる神経症へのアプローチ
🍅シャルコーの影響を受けたフロイトは、催眠療法をより発展させ、自由連想法という治療法を開発します。このとき、彼は神経症の原因を患者の「心」に求めました。これが「心因」と呼ばれるものです。心因とは「心が原因」という意味です。そしてフロイトは、神経症の発症メカニズムや治療方法についてさまざまな仮説を発表します。
🍅まず、フロイトは1894年に「不安神経症anxiety neurosis)」という病名を作りました。溝部・中込(2007)によると、この時代の不安神経症の症状としては、過敏、不安、不安発作、驚愕覚醒、不安性めまい、恐怖症(特に広場恐怖)、消化器症状、感覚異常、病的不安など、現在の不安障害とほぼ同一のものがあげられていたようです。また塩入(2010)によると、不安神経症という病名は、既に発表されていた「神経衰弱(神経が活動し過ぎて消耗する状態)」という病名・病態から不安に関する症状を抽出したものとされています。
🍅次に、フロイトは神経症の原因を考えました。このとき彼が着目したのは2点です。一つは、患者の生活史に着目したことです。彼は、幼児期や思春期の体験や、そのとき起きた心的外傷体験が神経症発症の要因ではないかと考えました。もう一つは「」です。彼は、幼児期に性的な満足が得られずにそれが鬱屈すると神経症が発症するのではないかと考えました。フロイトは、ここでの「性」とは大人の性器を用いた性的興奮ではなく、もっと原始的なものだと説明していますが、性をめぐるこの学説は当時も現在もかなりの批判を浴びています。
🍅また、フロイトは防衛機制defense mechanism)という概念を提唱しています。これは、人が精神的に追い込まれたときや欲求不満が生じたときにどのような行動を取るかというものです。この行動はたくさんあるので、一部をかいつまんで紹介します(全てがフロイトによるものではない)。

  a.成熟した防衛:いずれも精神的健康の方向に向かう
    ・予期(あらかじめ不安を予期して心の準備をする)
    ・ユーモア(直面している不安に対して突き放して笑いに変える)
    ・抑制(欲求を意識的に我慢する。抑圧とは異なる)
    ・昇華(欲求不満を社会的に良い形に変えて実現する)
    ・補償(欲求不満を満たそうとしてさまざまな努力を行おうとする)

  b.やや未熟な防衛:神経症的である
    ・置き換え(欲求不満の対象を別のものに置き換える)
    ・知性化合理化)(知的な理屈を並べ立てて自他ともに納得させる)
    ・性愛化(不安や欲求不満を性的なことがらにすり替えて紛らわせる)
    ・身体化(不安や欲求不満が身体症状として現れる)
    ・反動形成(本当はやりたいこととは逆の行動、態度をとる)
    ・回避(不安や欲求不満の対象から回避する)
    ・抑圧(不安や欲求不満を意識の下に押し込め、意識しないようにしようとする)

  c.未熟な防衛:境界的である
    ・行動化(不安や欲求不満を行動に表してしまう)
    ・退行(不安や欲求不満を避けるために幼児化して満たそうとする)
    ・投射投影)(人のせいにする)
    ・空想(空想の中で不満や欲求不満を解消しようとする)
    ・同一視(他人と同じ行動や感情にしてしまう)

🍅フロイトは、成熟した防衛機制を取れば精神的健康が維持され、やや未熟/未熟な防衛機制を取り続けると心の平衡を保つのに無理が生じて神経症を発症すると考えました。この防衛機制の理論は先に述べた性愛論とは異なり、患者の行動を鋭く観察しており、現在でも科学的に通用する概念といえるでしょう。また、のちに1930年代にカナダの生理学者セリエH.Selye)が「ストレス」概念を提唱して以降、ストレス対処の方法として防衛機制が理解されることにもつながりました。
🍅そして、フロイトは「抑圧」という防衛機制を神経症の主要な原因としました。たとえば、自分にとって不快な事実があるとします。この事実自体は(事実なのだから)否定のしようがありません。しかし、その事実に直面し続けるとしんどくなるので心の奥底(=無意識)にその事実を押し込め、上っ面(=意識)では何事もなかったかのように振る舞おうとします。この上っ面の態度は偽りの自分であり、心の奥底に本当の自分があるとすれば、自分の中でこの2つはバッティングします。この状態を「葛藤」といいます。そして、心の奥底には本当の自分=事実が残ったままですから、現実の場面で再び同じような不快な事実に出くわしたときに、心の奥底(無意識)に抑圧された不快な事実が意識上にのぼってきて、本人はそれをさらに抑圧しようとするので葛藤がひどくなり、その処理のために心の力を使い果たしてしまい、葛藤が不安となったり、身体に現れたりするのが神経症だというのがフロイトの解釈でした。
🍅一方、フロイトは神経症の原因を神経回路にも求めています。西松・斉藤(2004)によると、フロイトは神経症には器質的な(≒生物学的な要因による)神経症と心理的な神経症の2つが存在すると仮定していました。フロイトはこのうち、器質的な神経症については神経細胞や神経回路が心の基盤であるとして、生物学的な接近を試みていたことが知られています。しかし、19世紀後期の状況では時期尚早で、これを発表することはなかったようです。
🍅以上のように、フロイトは神経症の発症メカニズムについて単一ではなく複数の仮説を持っていたようです。フロイトはこれらの他にも学説をいくつか発表しているのですが、現代の科学的視点からすればまるで根拠に乏しいものと、鋭い観察や解釈をしているものが混在しており、今日もなお賛否が拮抗しています。彼は、こうした神経症の発症メカニズムだけでなく、その治療(精神分析)にも心血を注いでおり、精神分析についてはさまざまな研究者、実践者がそれを受け継ぐと同時に解釈を加え、精神科臨床で使われ続けています。
🍅ちなみに、シャルコー、フロイトらに起源を持つ、科学的な医学方法論ではなく「心を解釈する」というアプローチを取る一連の方法全体のことを「力動的精神医学」といいます。

  👀なお、フロイトの精神分析については以下のページでも取り上げています。


(3)戦争神経症への注目
🍅ところで、1900年代前半には二度の世界大戦が生じました。第一次世界大戦、第二次世界大戦それぞれで「戦争神経症」という症候群が問題となりました。徴兵された兵士が戦場で経験する心的外傷体験、不条理、そして帰国後の社会への適応困難から神経症を発症する例が続出し、精神科医やセラピストはその対応に追われました。しかし、フロイトが始めた一連の力動的精神医学では、発症メカニズムや病理までは説明できても、その治療、すなわち精神分析療法による治療実績は疑わしいものでした。
🍅(2021/5/13)戦争神経症に関しては日本を含む各国で膨大な研究実績が残されています。たとえば目黒(1967)は、第二次世界大戦では日本軍兵士の21%、ドイツ軍兵士の22.8%、アメリカ軍兵士の63%(他国に比べて高率なのは診断基準の問題と、診断が前線で行われたためと思われる)が戦争神経症を発症していたと指摘しています。
🍅なお、戦争に関して言えば、第二次世界大戦下のドイツでは優生思想が大流行したため、20数万人の精神疾患患者が抹殺されたといわれています。また、日本でも国民優生法(1940(昭和15)年)が制定されており、遺伝性の精神疾患や知的障害、病的性格などがその対象とされていました。なお、この国民優生法は戦後、優生保護法に名称が変更されています。


(4)明治後期~大正期日本の精神疾患
🍅さて、フロイトから離れ、明治後期から大正期の日本に目を向けてみると、精神科医の呉秀三しゅうぞう)が精神疾患患者が社会から迫害されている現状を調査し、処遇改善の活動に奔走しています。また、神経症領域では呉秀三の弟子であった森田正馬まさたけ)が森田療法を創始します。森田療法は、入院や面接を通して患者が自らの不安に直面し、その不安をうまくやり過ごした後に今後の希望や期待が現れるというプロセスを支援するというもので、森田療法は現在でもそれを信奉する臨床家が多数存在します。

  👀なお、森田療法については以下のページで詳しく取り上げています。

精神病学要略表紙
↑ 呉秀三(1897)『精神病学要略』吐鳳堂。

🍅(2021/5/13)神経症圏では、明治後期(特に日露戦争後)頃から「神経衰弱」という病名が社会全般で流行します。神経衰弱は現在ではあまり用いられていない病名で、主に精神が疲弊した状態を指しますが、明治後期から第二次世界大戦後しばらくの間までは臨床現場だけでなく文学作品などにもたびたび現れ、文明病の一つとみなされていたようです。




文献

近森高明(1999)「二つの『時代病』:神経衰弱とノイローゼの流行にみる人間観の変容」『京都社会学年報』(京都大学)第7号、pp193-208.
加賀谷有行(2015)「呉秀三の提唱した精神疾患の名称と分類に関する一考察」『広島国際大学医療福祉学科紀要』第11号、pp25-38.
金子準二・田辺子男・小峯和茂編(1982)『日本精神医学年表』牧野出版.
川口優子(1997)「イギリスにおける近代化と精神医療:精神障害はどう対応されてきたか」『神戸大学医学部保健学科紀要』第13巻、pp61-70.
菊池浩光(2013)「わが国における心的外傷概念の受けとめ方の歴史」『北海道大学大学院教育学研究院紀要』第119号、pp105-138.
目黒克己(1967)「戦争神経症」『医療』第21巻第2号、pp32-36.
溝部宏二・中込和幸(2007)「神経症性障害、ストレス関連障害及び身体表現性障害(摂食障害を含む)の疾患の概念と病態の理解」『精神神経学雑誌』第109巻第12号、pp1157-1164.
中井久夫・山口直彦(2001)『看護のための精神医学:第2版』医学書院.
成田洋夫(1996)「こころと東洋医学」『バイオメカニズム学会誌』第20巻第3号、pp130-137.
西松能子・斉藤卓哉(2004)「遺伝学とニューロサイエンスの進歩が精神医学・心理学へ与える影響」『立正大学心理学研究所紀要』第2号、pp65-75.
小田晋(1980)『日本の狂気誌』思草社.
塩入俊樹(2010)「不安障害の病態について:Stress-induced Fear Circuity Disordersを中心に」『精神神経学雑誌』第112巻第8号、pp797-805.
高橋徹(1990)「説得療法によるパニック障害の治療の二つの古い報告についての私見」『精神保健研究』第3号(通巻36号)、pp3-10.

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